バリの古典的な文化

バリ島では身分制度が強く、社会的不平等と地位の誇りを公に演劇化することがあったからである。

ここで列強による植民地化が始まり、バリもオランダの支配下に置かれることになった。最後の拠点であったバドゥン(デンパサールを中心にした王国)に進行したオランダ軍に対してバドゥンの軍勢は死よりも名誉を重んじるププタンといった集団自殺行為を行い、オランダ軍の集中砲火の中に飛び込んでいった。

こうして王族はすぐに滅び、オランダの支配が始まったのである。オランダの植民地化において「最後の楽園」「神々の島」といった観光スポットとして「発見」されてゆく。

バリの南太平洋のロマンティックなイメージ、ヒンドゥー教の神々と華麗な祭儀は欧米の芸術家や人類学者たちをとりこにしながら「観光」としてのアイデンティティを築き上げていった。

観光地バリがあるのはオランダの植民地支配があったから、といっても過言ではない。